「受け止める」強みのご紹介
お疲れ様です。
シズマです。
3月も中旬に入り、急激に春っぽくなってきましたね。
冬に続いて、布団から抜け出すのが億劫になる時期でもあります。
先日、大学時代の友人ととあることで朝9時からZOOMで話す約束をしていた時のこと。
いつもなら朝5時過ぎには起きているようにしているんですが、その日は暖かいこともあり、つい寝過ぎてしまって9時手前で起きてしまいました。
慌ててZOOMを開いて友人を招待。
ところが、友人がしばらく経っても来ません。
催促の連絡を入れたのですが、なかなか繋がらず。
20分くらいしてようやく帰ってきた返事を見て思わず納得してしまいました。
春眠不覚暁 (春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず))
ああそっか、眠いんかあ、なら仕方ねえな。
僕もお言葉に甘えてしまい、その日の予定は見事に流れてしまったのでした。
さて、今回のテーマは「受け止める」ことです。
それではいきましょう。
結論:フラットに生きられるようになる
「受け止める」というのは、自分が得た情報に対して、主体的に取捨選択ができるようになることを指します。
「受け止める」ことができるようになると、メンタル的なノイズに悩まされなくなります。
ここでのメンタル的なノイズというのは、あなたに影響を及ぼすもの全般、と定義します(めっちゃ漠然としてますが)
分かりやすいものの例を挙げるならば、職場の上司になります。
その人があなたのことを見て「もっと笑顔を増やして」や「もっと明るくなって」と、普段のあなたの印象について改善するよう指摘したとします。
この時、上司の言葉を「受け止める」ことができない人は、上司が言ったことに対して内心で問答が始まります。
なぜそんなことを言うのか?
私はそんなに暗い人間なのか?
評価が下げられるのではないか?
これらがメンタル的なノイズです。
一度頭の中に入ってしまったノイズは加速し、やがて思考が良くない方に行ってしまって気分が落ち込むーー
こんな経験、あなたにはないでしょうか?
「受け止める」ことができるようになると、このノイズが一気に減らせます。
思考停止することなく、自分に必要な意見、アイデアだけを取り込めるようになるのです。
根拠もなく同意しなくていいし、他人と同じ意見を持つ必要もない。
自分は自分でいいのだ。
そうに思えるようになると、フラットな精神で毎日を過ごすことができます。
【受け止めること】受け入れるとの違い
似たような言葉に「受け入れる」という言葉があります。
相手を認めるといったニュアンスを持つ言葉です。
英語のイメージならagree、commit、acceptあたりが該当しますね。
一方、「受け止める」とは英語で該当する言葉で表現するとcatch、receiveです。
野球のキャッチボール、バレーボールのレシーブのイメージです。
受け入れるのは、相手の方向から来たものをそのまま吸収する。
受け止めるのは、相手の方向から来たものを自分の前でピタッと止める。
同じようでいて、全然違う言葉ですね。
最近ではこの「受け入れる」ことを推奨されることがやたらと多いようです。
「受け入れる」=「聴く」のイメージと結びつけられてよく語られます。
傾聴や聞き上手、といったワードに敏感な方もいらっしゃるのではないでしょうか?
確かに「受け入れる」ことはとても重要です。
「受け入れる」ことなしに、相手と円滑な人間関係を築くことは無理でしょう。
ですが、前提として「受け入れる」ことの危険性も理解しておく必要性があるように思います。
その危険性とは、自分の「受け入れられる」キャパシティを超えてしまうと、破裂してしまうことです。
僕はかつてこの危険性を身をもって経験したことがあります。
僕が前の会社で営業マンだった頃、この「受け入れる」ことを至上命題のように掲げてクライアントと応対する風潮がありました。
クライアントの無理難題に対して、自分たちが徹底的にできることを考えて実践しろ。
できるだけ相手の理不尽な要求に対して沿うように努力しろ。
当時、その会社は業界の中でも競合他社に負け始めていて、差別化戦略に喘いでいた時期でした。
その中で考え出されたのが、とにかくクライアントの話を「受け入れて」、無理やり自分たちの行動に反映させようとしたことです。
その結果、どうなったのか?
赤字になってしまい、以降、利益が出るような会社ではなくなってしまいました。
自分たちのリソースをクライアントのために削ぎ続けて、肝心の営業利益が出せなくなってしまったのです。
その考え方は企業体質として染み付いてしまって、倒産までは行かないまでも業界最底辺に格下げになり、魅力のない会社となってしまいました。
これまでの営業活動を否定されたように感じた営業マンは自信をなくし、去っていった営業マンもたくさんいました。
僕もそのうちの一人です。
今まで自分たちが「受け入れて」きたことの危険性を、会社が危急存亡の状態にやってようやく気づくことができたのです。
相手のことを「受け入れ」すぎてしまって、自分たちの対応できるキャパシティを超えてしまった。
もっと早く気づくべきだったと後悔していますが、当時の僕は「受け入れる」=「聴く」と勘違いしていて、ひたすら「聴く」トレーニングをしていて周りが見えていない時期でした。
(ちなみに「聴く」ことについての記事を過去に書いていますので、興味のある方はチェックしてみてください)
確かに「受け入れる」ことは他者理解において重要です。
ですが、なんでも「受け入れる」というのは一見聞こえはいいものの、冷静に判断する瞬間がないように思えます。
思考停止しているようにも思えてしまいます。
まずは相手を「受け止めて」、それから自分に必要だったら「受け入れる」、不必要なら「受け入れない」。
そんな余裕も必要だと思います。
「受け止める」ことの2つのメリット
「受け止める」ことが習慣化してくると、二つのメリットがあるので、ご紹介します。
自分の頭で判断できるようになる
ものすごく単純なことですが、これです。
「受け止める」ことが自然にできるようになってくると、自分の頭で物事を考え出すのが習慣になってきます。
学者や有名人のメッセージというのは多くの場合、権威性を持ちます。
「その人が言うなら間違いない」と、根拠もなしに、多くの人は無意識に信じ込んでしまいます。
その瞬間、思考停止してしまっているのです。
これはとても危険なことで、相手がたとえ間違っていたことを発信していたり、自分に合わないことだったとしても気がつきません。
それが「受け止め」られるようになってくると、改善します。
まずは情報を「受け止めて」、自分の頭で判断し、最終的な判断を下せるようになります。
物事の大局観を持てる
大局観とは、物事の全体的な状況や流れに対する見方や判断のことを意味します。
よく囲碁や将棋などで、特定の局面における優劣の判断や形勢の仕方という意味でも用いられます(強みしか感じないワードですね)
大局観がある人は、目先の利益にとらわれずに、長期的な考えに基づいて行動します。
長期的に見て、物事がどう変化していくのかを予測しながら、逆算して今はどうすべきかの最善手を取ることができます。
「受け止める」プロセスは、この大局観を凝縮したことなのではないでしょうか。
大局観がなければ目先のことしか見えなくなり、失敗する確率が非常に高いです。
投資案件なんかがまさに当てはまると思います。
最近はやたらと投資を推奨する広告が散見されますが、投資のいい面ばかり見て着手するのでは、いずれ失敗します。
まずは投資の広告を「受け止めて」、大局観をもって判断できるようになれば、いろいろなものが見えてくるんじゃないでしょうか。
まとめ
以上、今回は「受け止める」強みをご紹介させていただきました。
シンプルなことですが、習慣として根付かせるのは時間がかかります。
その分、威力は絶大なので、ぜひ試してみてくださいね。
それではまた、次の強い探しでお会いしましょう。
了